輪の虹の中

ことばと日々とフォトと誰かと ”わ”

2007年08月

カナリアを拾う

鶏の前に、カナリアを拾った。

歩いていたらふわっと宙を黄色が浮いた。
それは、一羽のうまく飛べない鳥だった。
コンビニやマンション、旅館などが立ち並ぶ真っ直ぐな通りで、立ち往生ならぬ飛び往生していた。
これでは危ないと、拾った。
片足はおかしな方向に折れ曲がっていた。
もう片方の足もなんか怪しい。
早速、動物病院で診てもらうと、骨折との診断が下される。
鳥の専門医なら手術で治せるかもしれない、でも野鳥ではないので治さないでも生活に支障はない、との事。

カナリアはまだ子供でご飯をとてもよく食べ、拾ってまだ3日目くらいだがみるみる元気になった。
隙あらば籠を抜け出し、狭い部屋を飛び回っている。
しかし写真を撮るにはまだ警戒している。
カナリアは文鳥とは違い、触られたりかまわれるのを嫌がるそうだ。

自分で飼うかはまだ決めていないけど、そりゃ、もう、可愛い。
何だか情が動き出しています。

いつもそばにキミよいて

どこぞのパーキングでひそやかに暮らす鶏のトッサカー。
何度かこちらで紹介しました。最近も会いに行く機会があり、少し夏バテ気味のトッサカーに残暑お見舞い申し上げて参りました。
ほんのひと時を過ごすだけですが、別れる時は本当に辛いんです。
住環境さえ整えばすぐにでも迎えに行きたい!!

そんな私に奇跡の気休めが舞い降りて来ました。





トッサカーTOY1トッサカーTOY2














トッサカーによく似たフィギア!(本物のトッサカーの方が色合いや艶は秀逸ですが。)
見つけた時の感動ったらないです。
横浜ルミネの有隣堂にいました。この他にも数十種類の動物たちがあなたのお迎えをお待ちですよ!
なんて
あぁ、私は踊らされているのだろうか。
やっぱりこれじゃ意味がないよなぁ。
夢から醒めそな深夜一時半。





追伸通信

前回前々回と語ってきた「アキ・カウリスマキ」監督の特集上映。
無事、二作品を観ることが出来ました!タイトルは...
「夕暮れのパラダイス」「愛しのタチアナ」。
単純に面白かったのですが、映画自体ではなく想うところもありました。
それはまた別の機会に。


今日という日

街のあかり(参照:前回の記事)を観に行くどころか、怒りの炎が点火されてしまった。

夕刻の群青色の空の撮影を知人から頼まれていたので、カメラを構えじっと待つ。
しかし残念ながら薄曇りの空で群青が撮れない。困っちゃうが仕方ない。
気を取り直そう。
「街のあかり」は21時から渋谷の映画館での上映。時間は十分間に合う。
駅に着くと電車が遅れている。人身事故だ。
10分ほど遅れて走り出す。まだまだ間に合う。
車窓から稲光がいくつも見える。
一駅過ぎた所で電車が止まる。
信号機に落雷したらしい。
そしてそれから、一時間以上もその場所で缶詰状態になる。
寒がりで電車の冷房にすぐ鳥肌が立ってしまう私だが、沸々と沸き起こる苛立ちの熱が身体中を覆い、寒さなどみじんも感じなかった。
信号機の故障に加えて、私が乗っている電車の3つ前の電車も止まっていて、そこから人が降りてしまいその人(何人かは不明)の確認作業でも手間取っているという。この時すでに20時40分。
時間は完全に絶望だった。ここまで来ると逆立ちしても間に合うはずがない。
選択肢は「諦める」しかなかった。
私以外の乗客さんもおやつを食べたり、あぐらをかいて読書したり、車両間を散歩したり、我が家のようなくつろぎ方をしていた。露骨に苛立っている人がほとんどいないのが不思議なくらいだった。
やっと動き出して横浜に着いたのが21時30分。
映画を観るつもりで出て来たのだから横浜で何か観ようと思った。
「ダイ・ハード4.0」
ついてない男、ジョン・マクレーン警部補のアクション・ムービー。
ついてない点で私と合致する。
でも観れませんでした。終電の時間がぎりぎりで。
映画館横のファミレスで味気ない独りご飯をすまし、帰ることにしました。

今日という日は何だったのだろう。

しかし、ついてない日は最後までついてない。
電車の遅延は続いていて、30分で帰れる道のりに1時間半もかかった。
ジョン・マクレーン警部補の不運と逆転勝利を見届けてからでも間違いなく帰れた。

今日は今日だ。
明日(すでに今日)はうまくいきますように。



街のあかり

愕然とした。
敬愛するフィンランドの映画監督「アキ・カウリスマキ」の最新映画『街のあかり』がとっくに上映されている。
ここの所のワサワサのせいか全くもって気付かなんだ。
しかも、上映されている映画館でこれまでのカウリスマキ作品をレイトショー上映している。
カウリスマキ作品はなかなかレンタル屋さんにも置いてないうえに、しかも映画館で観れるだなんて、こんな素晴らしい話はないだろう。
ああ、ほんの数分前にこのブログのタイトルの参考にした『真夜中の虹』が始まった。
やるせない。
自分に息子が産まれたら、アキ・カウリスマキの最初と最後をとって「アキマキ」という名を付けようかと考えたほどなのに..。

(落ち込むな)

心のカウリスマキがそう言っている。

私はポジティブだとかプラス思考だとかいう言葉があまり好きではない。
声高に街の中に擦り込まれている言葉だけど。
臭いものには蓋をして、見たくないものには目を塞ぎ、人に優しくすれば自分が損をすると思いながら人から与えられることばかり望む。
前進することは綺麗なことばかりじゃない。
前進しようとする人間の心は綺麗な部分だけではない。

カウリスマキの映画は明るくはない。ポジティブの「ポ」の字も掲げていない。
けれど、カウリスマキの人間を見る眼差しには嘘がなく、優しい。
人間は滑稽であるけど、人生は捨てたもんじゃない。
そういうことを教えられる。
ある人が言った。
「カウリスマキの映画には味わいがある」
そう、「味わい」なんだ。
生活に接するあらゆるモノが味気ない時がある。
音楽・飲食店・それこそ映画・会話・自分自身...あらゆるモノが。
人生は味わう意思を持って立ち向かわなくてはいけない。
麻痺したら終わりだ。

ため息まじりの話から随分やって来たもんだ。
『街のあかり』観に行こう。
映画館は渋谷という街にある。
私が不得意とする場所だ。
街のあかりを探して来よう。

夏の抜け殻

今夏も早足で過ぎ去りそうである。
夏を感じるのは、熱さと蝉の声だけである。

何とも寂しい。

海じゃなくても近所の市民プールで泳いだり、お祭り騒ぎに興じたりしたいものである。


秋が足早に近づいて来る。
今秋は私にとっても周りの仲間たちにとっても記念すべき時間になりそうだ。
そのために夏色が薄くなるのは致し方ない。

殻を脱ぎ捨てよう。

そういえば、昔ある人が言った。
女は25歳からだと。それまではただのサナギだと。蝶(いい女)になって羽ばたけ!と。
25歳を過ぎた私は果たして...いいや変わらず青臭いサナギである。







せみのぬけがら

トリ基金

今年の年末ころか、来年の年始ころに

スペイン・フランスあたりに行きたいなぁー

と漠然とした目標があり、

つくりました。


トリ基金

トリ基金










鳥の絵の缶にコツコツコケッコーと貯めていきます。
(パーキングのトッサカーはどうしているだろうか..会いたいなぁ)
(天然コケッコーという映画が観たい)
  • ライブドアブログ